秀弓の乱までの事件史


秀弓の乱とは、宰相秀弓が起こしたとされる大乱。しかしこれは勝者・楽章によって植え付けられた歪んだ歴史観であり、もとは楽章によって引き起こされた争乱を指す。

 

何秦王(がしん・おう)には三人の后妃がいた。第一夫人は、辺境の地から女官として選ばれてやって来たチュチュ・チェチェ。もっとも愛され、その力は絶大であった。

 

二番目の妃は有力氏族の娘で、棘女(らお・にー)といい、意地は悪いが実家に力があるので、それなりに王にかわいがられた。

 

三番目は、何秦の従妹で、年若くして皇后となるべく婚姻。名を芳貴(ほあ・ぐい)といい、のちに夫亡き後中継ぎの王として和秦女王(わしん・じょおう)となる女性である。

 

さて、棘には王との間に女児があったが、王位を継承する男児を、誰よりも先にと焦っていたが、やっと懐妊したときには、芳もまた懐妊しており、しかも先であった。

芳の腹の子こそ男児ではないかと噂が立つ中、棘は芳の毒殺を画策。しかし宴の席で毒が秀弓(このときの名はまた別であったと文献)により見破られ、棘は投獄される。秀弓(本名:姜沈/かん・じん)は名を何秦より与えられ、このときから「秀弓」と名乗るようになった。

 

棘は牢の中で男児を出産したあと、王宮を追放されて罪人として流刑にあう。男児は寺に入れられ、その出生を語ることはかたく禁じられることとなる。

 

 

それから十年、宰相となった秀弓は、国が飢饉に見舞われているのを、罪もない王子が苦痛に喘いでいるためだと告げる夢を見てしまう。秀弓は王子・水月を寺より呼び戻し、官への道を開く。

 

何も知らない水月であったが、神官の楽章によって出生の秘密を告げられ、王位への執着を見せ始める。おりしも何秦王が亡くなり、空位となった状況であり、皇后となっていた芳が喪に服して王宮を出ている時である。水月は流刑地の母のもとを訪れ、「王太子である異母兄今王子(芳の子)を倒し、自分が王太子になる」と告げる。しかし、これは楽章の裏切りにより露見し、水月は捕縛され、現王位代行者である芳の前に引き出される。楽章は死罪を言い渡すべきだと芳にすすめ、さらに王子を還俗させた秀弓の責任を追及した。

 

芳は秀弓にとがはないと庇うも、楽章に秀弓との関係を訝しまれ、噂を流されたために庇いきれず、息子である今王に譲位、皇太后として幼い王と結託することで秀弓を守ろうとする。しかしながら、楽章は今王に娘を差し出し、今王を皇太后から引き離すと、今王に秀弓追討の令を発せさせる。

 

皇太后は女官達をつれて王宮を出ると、秀弓と合流、その陣を女官で取り巻き、衝突を押さえ込む。楽章は皇太后を内心愛していたのだが、手に入らないいらだちから枯れ野に火を放たせる。皆逃げて行くだろうと高をくくってのことであったが、結果として皇太后と秀弓の心中というかたちになってしまう。楽章はこのことをひどく怒り、逃げて来た女官すべてを斬首に処した逸話が残る。

 

一連の事件で楽章は権力を握り、王の舅として王を傀儡にすることに成功するものの、諸侯の反感を買い、国内は乱れ、国土は各都市に分立、内乱状態となる。

また、この間に水月は今王によって毒を飲むように言い渡され、亡くなっている。

 

後のこの事件は、秀弓の乱と呼ばれ、十三年後、物語開始の天暦150年現在において、色濃く影響し続けている。

 

※棘女は息子の刑死後、自害している。

※棘女の娘は黄珠といい、チュチュによって何も知らされずに育てられている。

※芳は双子を出産しており、一人は今王。もう一人は、川に流され生死が不明である。